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2012年01月06日

あのコダックが・・・

デジタル時代に突入し、ある程度想定していたものの、ショッキングなニュースです。
以下引用始>>>>>>>>>>
米コダックが破産法申請か 業績低迷、数週間内と米紙報じる
2012.1.5 10:14 [倒産・破産]
 米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は4日、米写真用品大手イーストマン・コダックが数週間以内の連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の申請を準備していると報じた。

 写真用フィルム大手だったコダックは、デジタルカメラ時代への対応が遅れ、業績が低迷。資金確保のため保有特許の売却交渉を進めている。

 同紙によると、特許売却がうまくいかない場合に破産法の申請を検討。その際に金融機関からつなぎ融資を受ける交渉をしている。

 申請後に裁判所の管理下で、1100件の特許を売却することもあり得るという。

 コダックは3日、株価の平均終値が30営業日連続して1ドルを下回ったことから、ニューヨーク証券取引所から上場基準に抵触する恐れがあるとの通知を受け取ったと発表していた。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120105/biz12010510150003-n1.htm
<<<<<<<<引用終

 ポールサイモンの「僕のコダクローム」という曲で、歌詞に「ニコン」「コダクローム」が出てくるそうです。私が、助手として商業スタジオに入社した、今から30年以上前に先輩からその話を聞きました。そのコダクロームが、コダック独自技術を用いた渋く濃厚なフィルム。このコダクロームは、現像中に発色させるカプラーを混入させる「外式」と呼ばれる現像方式をとっており、当時、日本では横浜の東洋現像所のみ現像が可能なフィルムで、このイメージが、コダックが、富士や小西六(コニカ)とは、別格である、という思いがありました。

 当時はコダクロームU(KU)としてASA25という低感度でしたが、ロバートキャパの時代は、ASA10だったとか。戦場でASA10は、大変だろうと想像しますが、先人達の技術には感服します。
 小生が、写真学校に通っていた時、授業でコダックはフィルム製造に必要なゼラチンを牛から採取するために牧場を持っている、と聞きました。
 最近、フジフィルムがコラーゲンを使用した化粧品のCMをしていることを不思議に思う消費者の声を聞きましたが、フィルムメーカーは、製造過程で得た技術を他に活用しているわけですね。

 その後、コダクロームはISO25のKM、64のKR、これに出荷基準を厳しくした、Pを冠するプロ使用も登場しました。(この頃からASAではなくISOが使われるようになりました)もっともポジフィルムのスタンダードは、感光剤意にカプラーが含まれている内式のエクタクロームでこれは、カラーポジが現像できる現像所なら、どこでも現像できました。

 小生は、コダクロームに拘り、使い続けていましたが、現像が首都圏でしかできないことから納期に影響することと、コダクロームを使用した場合に印刷でスミが強く出る傾向があり、次第に、内式現像フィルムを使用するようになりました。

 その頃、フジフィルムがISO25のフジクローム「ベルビア」という内式の常識を覆す、高解像フィルムが登場。その後、万能タイプともいえる「プロビア」が登場し、発色の好みはあるものの、次第にフジがコダックのシェアを奪っていったように思います。
 個人的にプロビアを万能と称した理由は、工場など複数の照明器具が使われている施設は、1種類の照明ごとに色補正をして多重露光しない限りフィルターでの調整に限界があり、実作業では、ミックス光で妥協できる発色がフジの方に分がありました。
 また、この時期、ライティング等を確認するため、スタジオ撮影に付きものの、フジからFP100という高画質なインスタント写真が登場し、それまでのポラロイドから乗り換えるカメラマンが多くいました。私もその一人ですが、フジの躍進が目立つ時期でした。

 こうして私もコダック離れをした上で、デジタル時代に突入しました。私がデジタルに切り替えたのは、ニコンからD1Xが発売された時。実は、この頃、コダックからニコンF5をベースにデジタル改造したDCSがあり、どちらを購入するか迷いましたが、検討した結果、D1Xとしました。

 コダックには、もう10年近く貢献していませんが、現像所も減り、黄色地に赤の「Kodak」の看板が、消えるのも時代の流れと言うことでしょうか。

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小生が、愛用したコダック製品

白黒フィルム
トライX、パナトミックX、テクニカルパン、T-MAX400

カラーリバーサルフィルム
コダクローム64(PKR)135(35mm36EX)及び120(ブローニー)
エクタクロームEES

他では、白黒印画紙のエリートは好きでしたね。ただ、オリエンタルニューシーガルの方が更に好きでしたが。

posted by シューティング・スッター at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年12月29日

更新は年明け4日以降になります。

 出先から書き込んでいます。
 暫く更新できていませんが、本年はお世話になりました。
 年明け帰宅後、更新を再開します。
 来訪者の皆さんも良い年をお迎え下さい。
posted by シューティング・スッター at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年12月14日

ズームレンズ考

 このレンズは、APS-CサイズのNikkor18−200mm、実に10倍超の倍率を持つレンズだ。
 半年ほど所有したが、高すぎる倍率が、便利そうでありながらも、繰り出しの多さ、下へ向けたときに伸びる焦点、望遠側のヌケの悪さなどが気になり手放した。言い換えれば、超高倍率ズームは使いこなせなかったということ。

18-200_2.jpg

 さて、今となっては主流のズームだが、小生が写真を撮りはじめてズームレンズに辿り着いたのは、フィルム時代の終盤になるニコンF5を使用していたときのNikkor80-200mm F2.8である。しかし、80mmでは、F1.4という明るい単焦点レンズを使用していたので、実質200mm F2.8という使い方をしてズームレンズらしい使い方をしていなかった。まして、焦点距離が変わるにつれてF値が変わるレンズは、中間焦点距離のとき、外部露出計を使用したマニュアル設定では、正確な絞りができないことから、小生としては、敬遠の対象であった。

 小生が、ズームレンズ主流になったのは、ニコンD1Xが登場し、フィルムからデジタルへ移行したときである。フィルムと違い、一度、塵がセンサーに付着すると、そのまま全カットに塵が写ってしまうことから、塵の混入を避けるため、レンズ交換を少なくする目的で、ズームを標準としたわけだが、この頃は、撮像センサーに埃が付くことが、故障に繋がるくらいの強迫観念をもっていた。
 ということで、17−35 F2.8が標準レンズになり、後にAPS-C専用の17-55 F2.8が登場し、入れ替えた。たまに単焦点のF1.4を使用すると、恐ろしく明るく感じたものであった。フィルム時代は、場所ごとにゼラチンフィルターで色補正をするなどしていたのでF2.8は、暗いレンズに属していた気分だったが、今では、とても明るいレンズである。

 ニコンは、レンズ後部に絞りリングを無くしたレンズを出し、絞り調整もカメラボディで行うことが主流となってきた。こうなると焦点距離によってニューと伸縮し、F値が変わるレンズも中間の焦点にあっても正確な絞りがマニュアルで設定できる。
 そこで、このようなニュニューと伸びるレンズも抵抗なく使用するようになった。デジタルカメラの高感度特性が、著しくよくなった現在、ズーム開放値が、F5.6であっても概ね、撮影はできる。しかし、それでも厳しいときは、単焦点レンズが登場するようになってきた。やはりボケ具合も美しい。体もよく動かす。

 それにしてもF5.6とは、大判レンズと同じ開放値である。35mmカメラの系譜にある、デジタル一眼レンズの開放値が標準ズームでF5.6でレンズキットとして売られる時代が、来るとは、想像できなかったのが正直なところ。
 歪曲などをデジタルで補正してしまうという、フィルム時代では、反則のような印象があるが、しかし、あの価格と描写性能は、更に驚かされる。


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【ニュースから】

AFPBB NEWS>>>アトリエのチカラ/伝承され磨き抜かれる、研ぎ澄まされた技と妥協しない心/ミキモト装身具>>>>>

 ミキモトと読んで、御木本幸吉の伝記を小学生の頃に読んだことを思い出しました。
 日本が誇るミキモトです。



posted by シューティング・スッター at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記